■ジョニーとは求めているものがぴったり合ったんだよね
この本を書けたのもジョニーとの出逢いだったと思う |
| 大場 |
今日はよろしくお願いします。 |
| yuki |
こちらこそよろしく。 |
大場 |
さっそくですが、この本の時系列でいうと、yukiさんは85年にニューヨークに行くわけですが、80年代はラモーンズにとってどんな時代でしたか? |
| yuki |
85年というのはパンクシーンも終わってたし、しかもニューヨークのパンクシーンは少しインテリっぽい感じで、ラモーンズは違ってたよね。ラモーンズみたいに革ジャン着て音楽やってたシーンもなかったし、当時としてはセンサーショナルな存在ではあったけど、当事の彼らは既につまはじき状態だったと思います。
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大場 |
そのニューヨークに行ったとき、ラッキーにもジョーイ・ラモーンに逢えたじゃないですか、あれがなかったらその後のファンとしてのテンションは違ってたんじゃないですか? |
| yuki |
う〜ん、もし逢えていなくてもお金をためてニューヨークに行ったこと、NYという街自体にインスパイヤーされたことが大きかったから、逢えなかったとしてもすごく大きなエネルギーにはなったと思う。 |
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大場 |
そのころは音楽雑誌のデザイナーだった? |
| yuki |
そうそう。 |
大場 |
でも業界で音楽が純粋に好きな人でも、こんな風にバンドと仲良くなって
長く付き合える人っていないですよね |
| yuki |
なかなかいないと思う。この本が出てからみんなに言われるんだけど、
この本はやっぱりワンアンドオンリーで、こういう本を書こうと思っても書け
る人いないよねっていわれる。内容もライターが普通にバンドについて
書いた本とも違うし、そこがすごいって言われるんだよね。 |
大場 |
そうですね、やっぱり業界の人たちはどんなにバンドが好きでも、ビジネスとして客観的にならざるを得ないじゃないですか? |
| yuki |
そうそう、だから他のレコード会社の人で本を読んでくれた人でも、心が洗われたとか、自分にもこんな時期があったことを思い出したっていってくれるのよ。だからレコード会社のディレクターとかいっぱいバンドと長くやってる人いるじゃない、でもビジネスとして始めちゃうと難しいところがあるよね。 |
大場 |
メンバーの中でもジョニーであったのが大きかったと・・。 |
| yuki |
やっぱりこの本が書けたのも、バンドのリーダー的存在のジョニー・ラモーンっていう人と出逢ったこと自体が良かったというか、波長があったというかね。ジョーイやディーディーみたいなタイプだと難しいけど、ジョニーとは求めているものがぴったりあったんだよね。80年代ファンもいない中で、必死でバンドを続けなきゃいけないジョニー・ラモーンと、それを見たくてしょうがないっていうファンの間の、求める度合いの部分が合っていたんだ思う。 |
■フジロック・グリーンステージでラモーンメンバー追悼のセレモニー
/ジョーイが亡くなってラモーンズも無くなるんだなっている衝撃が |
大場 |
さてフジロックの絡みからなんですが、ラモーンズの招聘元はスマッシュですよね。 |
| yuki |
そう、残念なことに・・。 |
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大場 |
なんで残念? |
| yuki |
だってラモーンズが解散した次の年にフジが始まったからね。 |
大場 |
80年の最初の来日のときからすでにスマッシュだったんですか? |
| yuki |
いやその時はね、麻田浩さんたちのトムズキャビンが招聘元でした。 |
大場 |
88年の2度目のときはスマッシュだったんですね? |
| yuki |
そうです。 |
大場 |
それで記憶にあるのは、グリーンステージでラモーンズメンバーの追悼
のセレモニーがありましたよね、あれはジョニー・ラモーンだったんですか? |
| yuki |
いやあれはジョーイなのよ。 |
大場 |
そうか、ということはあれが91年か92年ということですね? |
| yuki |
そう、なにせあの後メンバーがディーディー、ジョニーと続けて亡くなってゆくわけだけど、ファーストインパクトといったらおかしいけど、ジョーイが亡くなってラモーンズはなくなっちゃうんだなという衝撃と、50歳だったからね、今考えてもそう遠くない年だから。 |
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大場 |
ラモーンズ以前はルースターズなんかを聴いていたん
ですよね。やはりフジで解散ライブがあり、そう考えると
あれもスマッシュがらみ・・。 |
| yuki |
そうなのよ、だからスマッシュの人達にこの本を渡し
た時にも「懐かしいね」っていう感じだよね。 |
大場 |
ラモーンズが解散してもう11年くらいになりわけですが、
ファンクラブを解散しようと思ったことは? |
| yuki |
解散したんですよ、1回。一応バンドの意思にのっとり、
バンドがないのであれば止めましょうということで。
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大場 |
それが復活することになったいきさつは? |
| yuki |
96年にはやることがなくなったじゃない、本来は。でもラモーンズのニュースは途絶えることがなくって、レコード会社がベスト版を出すとか、ロックンロールの殿堂入りをするとか、なにせ話題は多くて。ジョニーとは文通していたんで、ラモーンズなかなか終わらないねネタが、みたいな感じで。それに下の世代のグリーンデイなんかがトリビュートアルバムを出したりとか、話題には事欠かない状況で、ファンも減らなかった。それまでのCDのライナーノーツに、ファンクラブの連絡先が書いてあって、それを見た新しいファンから連絡があったりとかで。それでジョニーに連絡したら、やってくれということで、じゃあもう1回やろうかということになったんです。 |
大場 |
じゃあ全く新しいファンからの問合せや入会も続いているわけですね? |
| yuki |
そう、特にこの本が出たり、「It’s ALIVE」という過去の映像を集めたDVDが出たりとかいうタイミングで、問い合わせや入会がありますね。 |
■このバンドはいつでも自信に満ちている
/だからどんな場面でも浮かれることはないんだろうなって思った |
大場 |
91年には会社を辞めて単身ニューヨークに行くじゃないですか、ジョニーはそういうユキさんの決意や、ラモーンズに対する思い入れを認めていたところがあるんじゃないですか? |
| yuki |
でもジョニーの考え方は合理的で、ニューヨークへ行く前からやめたほうがいいと言ってたけど、気持ちは伝わってたと思う。 |
大場 |
ラモーンズというバンドは解散をめぐる場面でも、ジョニーの生き方というか美学に貫かれたバンドですよね。ところでジョニーは解散してからどんな暮らしだったんですか? |
| yuki |
毎日?野球見てた。自分はこんなに働いたんだから、これからは自分のために時間を使うっていう考え方で、しかも極端なところにいるなって思うのは、その後マリリンン・マンソンや後輩バンドたちからリスペクトされるみたいな状況になると、人間浮かれるじゃない? でもそれが全くないんだよね。だからアルゼンチンみたいな状況の中でもね。 |
大場 |
あれは映像で見たけどまるで暴動ですよね! |
| yuki |
すごいよね、車は追っかけて来るし、しかも7万人のサッカースタジアムで演るわけで。でもニューヨークに戻ってきたら、『ああこれで普通の生活に戻れる、じゃあおれタクシーで帰るわ』って帰っていくわけよ。そこがこのバンドを表しているっていうのは、やっぱりつらい時期が多かったからね。当時のローディーなんかに聞くと、マーシャルのアンプをステージにずらっと並べたときもね、音の出し方とかこんなんでいいのかって聞くんだって、そしたら『これでいい、これだったら大きいホールだろうが、ヨーロッパの砂利の上の駐車場みたいな所で演るんでも俺たちの音は出せる』と。要するにどんな酷い状況でもライブをやれる一定の環境設定のようなものをちゃんと持っている。このバンドはいつでも自信に満ちているんだよね。きっと本当にいろんな状況で演ってきているから、浮かれることはないんだろうなって思った。 |
大場 |
アルゼンチンはなんでラモーンズの人気が熱狂的だったんでしょう? |
| yuki |
ラモーンズのメンバーに言わせると、パンクの始まりと一緒だっていうところだよね。当時のイギリスでいうと仕事がないとか、フラストレーションがたまっている状況で、そのはけ口がパンクだったんじゃないかな。その上音もシンプルでわかりやすいしね。 |
■人生において何に対してもギブアップしなくていいんだ
/「ジョニーはyukiっていう継承者を作り上げたよね」 |
大場 |
ラモーンズのバンドの歴史の中の複線というか、ジョニーとジョーイの確執みたいなことがあって、それにユキさんが気がつくタイミングがあるわけですけど、その辺からラモーンズとの関係も逆に深くなっていって、ユキさんも一緒に成長していったような感じがするんですけど。 |
| yuki |
そうなのかもしれない。20年間、ジョニー・ラモーンが私に言ってきたこと、してきた指示っていうのが、何が絶対的だったかっていうのは、後になって思うんだけど、当時は言われてもわかんないわけよ。でも今になってすごく影響されてるなっていうのは、何かに対してギブアップしなくいいんだ、自分の人生で。つまりダメでも成功しなくてもギブアップしなくいいんだ、がんばってやってるだけでそれはすごいことなんだと思ってるから。ラモーンズに関しても解散しているのにファンクラブやっていこうとか、応援してゆこうっていう気持ちがいつまで続く、みたいなことをいわれるけど、いつまで続くかは判らないけど続かないとは思ってないのよ。 |
大場 |
最後のほうはジョニーもyukiさんに気持ちを託したというか。 |
| yuki |
少し前誰かに言われたんだけど、ジョニー・ラモーンはyukiって
いう継承者っていうか、そうい人間を作りあげたよね、自分が死んで
もラモーンズをかっこ悪く見せない、価値を下げない、こういう風にバ
ンドを見せてくれよっていうメッセージが伝えられる人間を一人残し
て死んだよね、みたいなことを言われる。確かにジョニーの美学は
頭の中に刷り込まれていて、今回本を作るときも、絶対にラモーン
ズのピンクの色はサードアルバムとおんなじ色にしてとか、そうじゃな
きゃラモーンズじゃないとか、すごくこだわっちゃうのよね。この本は
お墓に持ってく位大事だから。だからこの本をファンが買った後に
一生持っていられるくらい、かっこいい本にしてねってなるわけよ。
ジョニー・ラモーンはファンの前ではかっこ悪い姿は見せない、常に同じテンションでライブは手を抜かないとか、そこをそのまま受けついでいるから、 |
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本を作るにしてもファンクラブをやるにして、もかっこ悪くやりたくないっていうのがあるわけで。映画の宣伝にかかわると時なんかでも、ラモーンズの価値が下がるような宣伝は絶対ダメっていうのが頭の中にある。これは完全に刷り込まれてるんだよね。だから女ジョニーとかいわれちゃうんだけど。今でも何かに対しエネルギーが下がりそうになったら、ジョニーとの手紙を読み返すんだよね。それって私にとって人生のバイブルみたいなことだから。他の説でいうとね、ジョニーはyukiに自分と同じものを見たって言うわけよ。頑固だし、嫌なことはやだっていうし、相手がジョニーでも悪態つくしね。でもきっと何か似たところがあったと思ってたから徹底的にやったんじゃないかな。マネージャーとかスタッフが、ジョニーが20年間も手紙を書き続けるなんてありえないっていうわけよ。しかも他の人からみれば単なるファンナわけで。だから君はスペシャルだったんだねって言われるけど。見事なまでに馬が合ったっていうか、いい出逢いをしたのかなって思う。 |
■『KEEP ON GOING!』
/あれを聞いたときこの人は死ぬまでジョニー・ラモーンだったなって思った |
大場 |
先日公開した『TOO TOUGH TO DIE』のライブの時は、実際会場にいらっしゃったんですね。そのときジョニーは危篤だった? |
| yuki |
そう3日後に亡くなってます。 |
大場 |
で無理やり帰ってきた、会わずに帰ってきたのは、やっぱりジョニーの美学を尊重したというか・・。 |
| yuki |
後悔してないよ、今でも。多分会いたいよね。でもジョニー・ラモーンだからね。髪も抜けちゃってたらしいし、自分では起きられなくなってたようだし。これは会っちゃいけないなって。千羽鶴を渡せなかったら大後悔していたと思うけど、渡せたしね。手紙も自分では読めなかったらしいけど、見舞いに来るお客さんにその度読ませたって聞いただけで、もういいいいかって思ったね。 |
大場 |
行かないことでyukiさんの気持ちが伝わったっていうこともあるのかな? |